2007年11月15日

ステンレス加工の池田精工を訪問

国内有数のステンレス加工集積地の津山 
共同受注グループ津山ステンレスネットの代表も務められている池田精工 池田 晃社長にお尋ねしました。 
 
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写真_池田社長    写真_本社工場

業務内容を教えてください。

ペットボトル充填機、薬品包装機等、衛生基準の厳しいサニタリー分野のステンレス製機械設備、部品を製造しています。変わったものではステンレス製の点字鋲も作っており、岡山駅ほか全国で使われています。

工場は3つ(鏡野本社工場、布原工場、草加部工場(アイ・エス))ありますが、全て精密ステンレス加工中心です。
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写真_布原工場内

工場はフル操業のようですが、仕事はどうとってくるのですか?

実は当社に営業社員はいません。これまでの取引先とがほとんどで、新規の案件はほとんどお断りしないといけない状況です。

−もったいない話ですね。
企業は急に大きくすると危険度が増します。今年、工場を新設(布原工場)しましたが、とても大変です。着実に前進したいと思います。

このブログは中高生の方にも見てもらいたいと思っています。
学生時代は何をされてましたか。


実は津山工業にラグビー部を作ったのは私たちなんです。
−え、あの花園常連のラグビー部は有名じゃないですか
今はともあれ(笑)実は学生時代足が速く、1年生のとき陸上部で走っていたのですが足の骨折で挫折してしまい、3年生のとき仲間とラグビーをやってみたいなと創部しました。ですが、教えてくれる先生もおらず、本屋に行きラグビー関係の本を買いまして、その本に書いてある練習法で練習しましたよ(笑)。私はナンバー8でキッカーもやってました。

−戦績はどうでしたか
もちろん大敗でしたよ(笑)。私らはいつも0点で負けてましたが、後輩は大したものですね。
ラグビーをやるまで自分はかなり消極的な性格でしたが、前へ出られるようになった気がします。津工同期の仲間は今もよく集まってますよ。

どうして起業を?

学生の頃から必ず事業をすると決めていました。それで高校を出てから、大阪・神戸の中小企業で経験を積んで31歳で帰郷し創業したのです。

事業をするには大企業で働くより、中小企業のほうが広範囲に携われるのでいいと考え、そうしましたが、本当にいろんな経験をさせてもらいました。つらいこともたくさんありましたね。

起業してからはどうでしたか。

それが、それまでの会社員時代に苦労したことを思えば、操業後は大した苦労はありませんでした。一つの仕事をやり遂げると、新しい課題を与えられ、なんとかそれを実現する、その繰り返しでした。

自分は2が向いていると会社員時代社長に言われたことがあります。会社を経営する立場になり、「向いていない」と思ったこともありますが、周りの方に助けられやってこれたと思います。お蔭様で目標にしてきた連結決算での売上10億を今期で達成できそうです。

−中小企業は社長と奥様が大事とお聞きしますが、奥様はいつも元気な声で電話に出られますね。
いやあ、本当に家内には助けられてます。

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写真_製品

課題は何ですか?

人材育成です。社長が全従業員を育成できませんので、中間管理職の数名を人材教育会社の教育コースに入れています。うちの話を聞いて他社の人も同じコースに入ったくらいで、非常にいい教育をしてくれています。

私自身は叱る難しさを痛感しています。「怒らずに叱る」なかなかできていません。
といって、褒めるだけでいいかというと、「褒められたい」が先に来るようになり打算的になってしまいます。本当に難しいですね。

従業員の方に求めることがありますか?

うちのはおとなしいのが多いので、もっと前に出てもいいと思うくらいですかね。
人間一度二度挫折した方が良い。うちの中途採用の従業員にもいいのがたくさんいますよ。
いろんな経験が人を成長させると思いますが、そのためにも自分で考え実行する人がいいですね。

といってもうちは来るもの拒まずで(笑)、来てもらえば図面の見方から機械操作まで教えます。早い子は1ヶ月で戦力になります。うちの従業員は本当に熱心で「遅いからもう帰ろう」といっても深夜遅くまでやるんですよ。最近は私もよう付き合えません(笑)

今後の目標は

津山地域ではこの津山を「日本のステンレス加工基地にしよう」と産学官あげて動いています。当社もその一員として、仲間とともに技術力を高め、人を育て、成長していきたいと思います。

一橋大学の関教授が10数年前に「新鮮な刺身のような仕事をしろ」と言われましたが、短納期、高付加価値、在庫を持てない、そんな分野に注力してきました。

実はうちの電話番号の下4桁0176は「ゼロから1番になろう」と語呂合わせしたものです。今後もお客様に信頼される、満足を与えられるそんな企業であり続けたいと思います。

成長し続ける池田精工株式会社、それを支えているのが高い技術を持つ従業員の方々です。
H10年入社の製造2課 課長 鈴木 敢士さん(S51年生まれ)にお話をお聞きしました。

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写真_鈴木さん

どうして池田精工に入社しようと思いましたか。

津山工業高校を卒業後、動燃に入社し、3年で辞めて帰郷しました。津山のハローワークで求人票を見ていたところ、企業紹介欄に「技術者集団」と書いてあった池田精工が印象的で、面接を受けに行きました。社長と面接でお会いし、やる気、熱意のすごさに圧倒されました。

入ってみていかがでしたか?現在の仕事を教えてください。

最初は専門用語が全くわからず、また図面もわからずで苦労しましたが、今は大変やりがいを感じています。現在は、マシニングセンター等金属を切削する機械を使い製品を作るとともに、後輩に教えたりもしています。
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津山ステンレスクラスターの技術者研修で講師を務められたそうですが?

社外の方に教えるのは初めてでとても大変でした。今まで教えられたことを思い返したりで、自身も勉強になりましたが、受講者の方に理解いただけたのかが心配です。私も研修等受講するときは、質問するなど積極的にならねばと思いました。

これから就職される方に一言お願いします。

最初に就職先を選んだ際は、名前を知っているとか大きい会社だとか、情報が少ない中で、あまり考えず決めたような気がします。学生の方には工場見学等でいろんな会社を見て、自分のイメージを固めて欲しいと思います。ぜひうちの工場にも来て欲しいですね。(笑)

池田精工をPRしてください

ものづくりの楽しさがわかる会社だと思います。自分で工夫してうまく製品ができたときの達成感をぜひ知ってもらいたいです。また、やる気次第で、頑張れば社長が認めてくれます。一緒に頑張りましょう。
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取材後記
「津山地域を日本のステンレス加工基地にしたい」と池田社長は他のステンレス加工企業の社員や後継者の方も自社に受け入れ、技術を教えています。
「そんなことして大丈夫ですか」と心配しても、「大丈夫、地域でやれた方がいい」とのこと。
常に新しいもの、先を見られている池田社長の目がそのとき、「勝負師」の目になったのが印象的でした。

(取材 沼、岡本)
posted by tsuyama-sangyo at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 池田精工